爺さんのブログ

74歳ですが気持ちは20歳(笑 よろしくお願いします。

久しぶりの我が家

約1ヶ月の遠征を終えて昨夜、我が家に到着した。

午前中、車の掃除をして次の遠征に備える。

昼飯を食べ山の中の作業部屋で仕事を始めるが、遊癖がついてしまったせいかなかなか集中できない。

いつもは、演歌を聴きながらの作業だったがそれすらも忘れていた。(笑 早速、景気のいい歌を聴きながらのお絵描きが始まった。

スケッチに行った時に撮影した風景

2層目が塗り終わりあと仕上げをすれば完成

愛用の油絵具(全120色・ルフラン&ブルジョア)発色がいい

しかし、今一つ身が入らないのでテレビを見るがニュースは中東問題とウクライナ問題ばっかりだった。

やはり、ウクライナ問題はロシアとの国力の差で今の状態になっているのだろう。

今から35年前の年末にソビエト連邦が崩壊しロシアになった数年後に以前から行ってみたいと思っていたロシアに行くことができた。

ルートは、新潟空港から2、30人乗りのアエロフロートで喫煙者は後部タラップからの搭乗で禁煙者は前部のタラップだったが結局機内に入ったら隔壁もなく同じキャビンだった。機内は、ジュータンが剥がれた通路を挟んで両側2座席でほぼ満席だった。その時は、日本人てこんなにロシアに行くんだなーと思っていたが・・・

まもなく、離陸し約1時間30分くらいでロシア・ウラジオストク空港に降り立った。現在と違いボーディング・ブリッジなどはなくタラップで直接エプロンに降りターミナルに入る方式だったが軍服を着た係員が両側に並び通路を作りその中をビクビクしながら歩きターミナルに入った。

入国手続きをするためゾロゾロと前の人について行くと何やら言葉が違うのに気が付き、立ち止まり全員通り過ぎるのを待っていたら皆、乗り換えロビーに入って行った。後で知るが全員北朝鮮の人だった。

残った乗客はロシア人数人と自分だけで、入国審査が終わりロビーに入るとローマ字で自分の名前を書いたプラカードを掲げていたロシア人がいたので思わず、スパシーバ(ありがとう。この言葉しかロシア語は知らなかった)と声をかけた。

車に乗り込みカタコトの英語を話してみたが、ほとんど通じず相手のロシア語も全然わからなかった。しばらくするとホテルに到着、パスポートを預けエレベーターに乗るがこのエレベーターがまた驚きで乗り込むとゆらゆら揺れて今にもワイヤーが切れて落ちてしまうような気がした。

エレベーターから降りるとローカの端には拳銃を持った警備員が各階にいて、こんなに厳重に警備しているってことはそれだけ治安が悪いのか外国人を監視しているのかどちらかだろうと思った。

なんとか部屋に入り一休みしてからシャワーに入ると、これがまた水圧が低く水とお湯が交互に出てくる奇妙なシャワーだった。

一夜明け警備が厳しいローカに出てゆらゆらするエレベーターで1階ロビーに降りフロントで貴重品を受けとる。(この行動も言葉が通じないので身振り手振りだ)

この時代は、スマホはおろかガラ携も持っていなかったのでガイドブックを出しどこに行くか検討していると、どこからともなく若いロシア人が日本語で話しかけて来た。

異国での久しぶりの日本語なので親しみを感じ話をすると、自分は大学生で日本にも留学していたことがあり日本語もできるので通訳として雇わないかと云うことだった。

一人ぼっちで不安だったので願ってもない話だが、簡単に信用してはまずいと思い条件を出した。

あなたの荷物をホテルのロッカーに預けキーを自分に預けたら雇ってもいいと条件を出したら承諾してもらえ1週間の契約をしてロッカーのキーを預かった。(通訳料一日1000円だった。当時のロシアは混乱期で国家公務員でも1ヶ月の給料は5万円程度だったので1日千円は高額だ)

真面目そうな青年で、早速案内をしてもらうことにした。今までベールに包まれていたウラジオストクの軍港や公園などを案内してもらうが、見るもの全てが新鮮で、アッという間の1週間が過ぎてしまった。

通訳と別れウラジオストク駅で大陸横断鉄道のチケットを購入。(地図を見せながら)

列車内は進行方向左側に通路があり右側はコンパートメントで1部屋に2段ベットが左右にあり4人部屋だった。

部屋に入るとロシア人の大男がいたので会釈をすると何やらロシア語で話しかけて来たが全然わからず笑顔を振りまいていただけだった。

朝になりハバロフスク駅に到着、ここでもローマ字のプラカードを抱えたホテルの係員が迎えに来てくれていたので車に乗りホテルに向かった。

カタコトの英語も伝わらないので身振り手振りで街を徘徊すると公園などでは子供達が物乞いなどされていて、当時のロシアの国内の混乱ぶりが垣間見れた。かくして、土産のマトリョーシカも購入できホテルに戻った。

翌朝、再び列車に乗りイルクーツクまで行きバイカル湖を見てハバロフスクまで戻り飛行機に乗ると緊張も解けドット疲れが出た。

10日あまりの滞在だったが数倍も長く感じた旅だった。

ハバロフスクの戦勝記念公園で若かりし頃の1枚

当時ロシアでの出入国時のスタンプ

そんな訳で30数年前のつまらない話だったが、あらぬ方向へ話が逸れてしまったが、なんとか演歌の助けも借り描きかけの絵もあと数日間で完成するだろう。(笑